ホーム > 師匠・古賀政男 > アントニオ古賀 >
2008-07-25:初稿

地方公演の思い出

 師匠・アントニオ古賀が、ラテンブームと「その名はフジヤマ」の爆発的人気で各地でひっぱりだこだった当時のことです。師匠の下での修行時代については「ルナ・ケンゾー紹介>修行時代>アントニオ古賀」で紹介しています。昭和40年頃の地方公演での思い出です。

 当時、地方での公演に出かけるときの持ち物は、衣装5着(衣装ケース入り約10キロ)、厚いカバーのかかったフルバンドの譜面(約10キロ)マンドリン、フルート、レキントギター、ギターなどがありました。師匠は化粧カバン、マネージャーは自分の荷物だけを持ってさっさと移動するのですが、私はこのたくさんの荷物を、一人で運んだものでした。
    ルナです。
 これだけの荷物を持つには、右脇にギターとレキントギターの2台を抱え、左脇に譜面と衣装カバン、背中にマンドリンを背負い、首にはフルートと、荷物をうまく配置するのです。こうして合計30キロ以上の荷物をいつも一人で運んでいました。
 師匠は化粧カバンを、マネージャーは自分の荷物だけを持ってさっさと移動したものですが、小柄な体でこれだけの荷物を持つその姿は、まるで荷物が歩いているように見えたかもしれませんね。
 汽車の乗り継ぎのある時には、ホームから離れたホームまで階段の昇り降りも含めて限られた時間のうちに運ばなくてはなりません。そのすさまじさにすれ違う人の中にはわざわざ振り返って見たり、笑ったりしている人もいました。
 (絵・ルナ ケンゾー)

 地方では体育館が会場のこともありました。明かりは裸電球がいくつか下がっているだけで、それが突然消えたりするんです。それでも師匠・アントニオ古賀は動じることなく、真っ暗な中でも平然と演奏を続けました。今では考えられないことです。
 お客さんはゴザを敷いただけの床に座ってステージをそれは楽しんでいましたよ。歌いながらお客さんの中に入っていくのをとても喜んでくれたものです。そんな時、私は師匠のうしろからコードが絡まないように持ってついて歩いたりしました。

 師匠は日ごろからリポビタンDを愛飲していました。手元にいつも買い置きしておいたらいいと思うのですが、毎日1本、どこへ行っても、薬局を探して買いに行くこと、信じがたいことですが、これが私の仕事でした。
 地方での場合、地元の人に薬局がどこにあるかをたずねると、「ここをまっすぐ行って、二本目の角を右に曲がり、三本目の角を左に曲がり一本目の角を曲がってそれをまっすぐ行って斜めにまっすぐ行くと右側にあるよ。歩いて30分くらいかな。」・・・・・と教えられ、言われた通りに行ってみると、ひと山越えたみたいに一時間以上も歩いたこともありました。それでもリポビタンDがあれば幸せで、似たような品を買っていくと「いつもの品物ではないから返してこい。」と言われ、また一時間かけて返しに行った事もありました。
 それからは地方に行ったら2、3ヵ所の薬局を常に探しておくようにまた、リポビタンDがあるかをチェックしておくように心がけたものでした。

 仕事を終えて宿に戻ると、師匠の肩、腕、腰など体中をマッサージして仕事で疲れた体をほぐすのも私の仕事でした。師匠から「もういい。」と言われるまで、いつも1時間〜2時間くらいマッサージしたものです。お陰さまで、今では私のマッサージはなかなか評判がいいんですよ。
 夜、師匠が休んでから、風呂に入りながら師匠の下着や靴下などの洗濯をするのも私の仕事でした。
 師匠の家ではシャワーも、お風呂に入ることも許されず、風呂に入れるのは地方の仕事で旅館やホテルに宿泊した時だけでしたが、ここでもゆっくりと寛いだりしている余裕はありませんでした。

 師匠は当然のことながら仕事にも厳しく、また、私生活にも細部まで厳しくと、全てに厳しかったです。師匠の言うことは絶対であり、失敗などもちろんのこと、口ごたえ、言いわけなど、一切許されませんでした。
 ちなみに、私のモットーは『自分に厳しく、人には優しく』です。

 一生懸命に、無我夢中で過ごした日々でした。

タイトル  
お名前  
email  
ご感想  
ご確認  上記内容で送信する(要チェック