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2010-03-12:初稿

地方公演の思い出<寝台夜間>

3月12日(金)
 12日夜、半世紀以上の歴史を閉じることとなったブルートレインの愛称で親しまれた、寝台特急「北陸」と、夜間急行「能登」(上野〜金沢)が最後の旅に出発。始発駅となったJR上野駅や金沢駅には惜しみ、その雄姿を修めようとカメラを高くかざす撮り鉄たち、「ありがとう〜。」と、声を上げて見送る大勢の鉄道ファンの姿が映し出されています。

 青森へ、大阪へと、アントニオ古賀の内弟子として、各地の演奏活動で、急行の夜行列車やブルートレインに乗って移動したあの頃のことを、ほろ苦くまた懐かしく思い出します。

 アントニオ古賀氏の内弟子をしていた当時のこと。早朝から夜遅くまで師匠の身の廻りのあらゆるお世話から掃除・片付け・子守りまでこまねずみのように働き、食事は一日に昼過ぎに食べる一回、しかもおかわりなしの一杯だけ。仕事の厳しさは頑張ればなんとかなりますが、腹ペコはどうしようもありません。私にとって地方での仕事におともすることは「朝・昼・晩とご飯が食べられる」至福の時でありました。

 師匠から指示された楽器や荷物を、とにかくすべて目的地まで持って行かなくてはなりません。
 たくさんの荷物を持って、師匠の家から駅まではタクシーで行き、改札を通り、階段を昇り下りし、歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、乗降ホームまでがどんなに長かったことか。大切な楽器や楽譜、衣装など盗まれでもしたら大変です。うっかり置いたりはできませんからトイレに行くこともできなくて大変な思いをしました・・・・・。

 この頃のことは、二人の師匠>アントニオ古賀>地方公演の中でも触れています。

 列車に乗るときはほとんどが自由席で、まず座席と荷物を置く網棚を確保しなければなりません。とにかく素早さが必要でした。座席は向かい合わせの直角の背もたれで、長時間座っていると腰が痛くなったものです。乗客で混んでいて座席が確保できないこともあり、そんな時には通路やデッキで何時間も過ごさなければなりません。あまりの混みように、床に座ることもできず立ったまま眠ったこともありました。
 時には寝台車に乗れることもありました。車両にはいろいろなタイプがあって、私が記憶しているのは上段・中段・下段に寝台が向かい合わせになっていました。各寝台を囲むようにカーテンがついていて、寝まきの用意もあり、早速着替えて通路を歩いている人もいました。見ず知らずの人たちと隣あわせになるのですが、少しずつ会話が進んで下車するときは「お世話になりました。気をつけて。」と声を掛け合って別れるなど、いろいろな出会いがありました。

 いやー、大変でしたけれど、どんな時も『いまの自分にこの試練は必要なことなのだ。』と考えました。確かにその通りで、つらさや厳しさよりもその何倍も得るものがたくさんあって、今の自分があるのは、あの頃の頑張りがあったからこそと、当時の体験に感謝しています。

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