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2008-03-01:初稿 2008-03-28:更新

流し時代 −田無駅周辺−

 東京に転居の後、荻窪にあった自動車会社「プリンス」、今でいう「日産プリンス」に勤めていたこともありました。仕事の要領はすぐに覚えてしまい、合間をみつけてはいろいろな職場をのぞきに行ったものです。
 大きな社員食堂でのお昼ごはんは安くて美味しくて、そして毎月決まったお給料をいただけるのですから、毎日が楽しかったですね。 当時、高卒の初任給で八千円くらいだったと思います。

 私は中学の頃から、歌手アイ・ジョージさんの素晴らしい歌声に強く魅せられていました。ギターを弾きながら歌うカッコいい姿に憧れ、覚えたてのギターを抱えてラ・マラゲーニャやキサス・キサス・キサスなど彼の歌を歌ったりしていました。そんな中、少しでも母に楽をさせたいという思いから、昼間は会社勤めをしながら夜は田無駅周辺で流しをすることにしました。ギターを抱え、のれんをくぐって「今晩は、お客さん一曲どうですか?」と、歌ってお金をいただくのです。

 当時の私はまだギターがうまく弾けませんでしたので、西武新宿線の田無駅周辺で一人で流しをしていた流しの先輩に「一緒にやらせてもらえませんか。」と頼み込み、先輩相方がギターを弾き私が歌って、二人で組んでの流しをはじめました。この相方さんは5歳くらい年上だったでしょうか。当時は2曲歌って二百円、多い時は一晩で二千円くらいになったこともありますが、それでも私の貰える金額はいつも三百円くらいでした。
 田無から住まいの東久留米まではバスで20分、歩いて一時間ほどのところで帰りは深夜になりバスもなくなって毎日歩いて帰ったものですが、たまにたくさん貰える時もあって、そんな晩はタクシーに乗って帰ることもありました。タクシーの初乗りが60円くらいの頃のことですね。そんな実践を通して、私もギターを覚え弾くようになっていきました。

 顔なじみになってかわいがってくれるお客さんもいましたが、知らない歌で注文に応えられないと不機嫌になってからんでくるお客さんや、なかなかお金をくれないお客さんもいたりしました。暑い日、寒い日と、いろいろなことがありましたが、夜空を見上げるとお月様はいつもやさしく見守ってくれているようで、「歌手になったら月(ルナ)と名前をつけよう。」と心に決めたのはこの頃のことです。

 後に、古賀政男先生に「芸名をルナとつけたいのですが。」と、お尋ねしたところ、「世界にスターは星の数ほどいるけれども、月は一つだけ。いいんじゃないの。芸を一生懸命みがきなさい。」と言っていただきました。

 『お月様のように人の心を照らせる、そんな歌手になりたい!』今も変わらぬ、私の願いです。

 見よう見真似でギターもなんとか弾けるようになり、腕試しのつもりでテレビの勝ち抜き番組に挑戦することになります。

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