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2008-03-01:初稿 2008-05-02:更新

師匠・アントニオ古賀

 師匠・アントニオ古賀の家に住み込みになってからは、早朝から夜遅くまで室内からトイレ、庭の掃除、片付け、師匠の身の回りのお世話、子守り、車洗いなど忙しく働きました。食事は昼に一食だけでいつも腹ペコ、寝る時間もわずかという厳しい毎日でしたが、そんな中、週に一度、堀の内の師匠の家からバスと電車を乗り継いで古賀政男先生のご自宅へ歌のレッスンに通えわせてもらえるのが楽しみでうれしかったですね。
 
 当時、師匠はテレビ、ラジオ、ステージ、民音、労音、音協、芸音などに出演し、超多忙な毎日でした。毎週日曜日にレギュラーで出演していて、当時は内幸町にあったNHK放送局のテレビ番組「歌のグランドショー」は、生放送で師匠のそばについている私もミスの無いように常に緊張感でピリピリしていました。
 この頃やっと師匠のステージに一緒に出していただけるようになりました。忘れもしません、最初のステージは大阪のサンケイホールで、師匠とデュオで出演。「酒は涙かため息か」「人生劇場」など、メロディーをとったりセカンドをとったりしました。私は足がガクガクし最高に緊張したことを覚えています。

 民音、音協、芸音などにも出演するようになり全国公演で北海道から九州まで各地を回るようになりました。青森など長距離のときは、たくさんの荷物を持って中原マネージャーと一緒に先に現地に行き、師匠を公演先で待つのですが、夜行列車で18時間位かかったと思います。大阪へは毎週毎週通っていました。地方での仕事はいろいろな所へ行かれていろいろな人に会えるので楽しかったですね。
 当時、古賀プロダクションでみんなから「チビチビ」と呼ばれていた女の子が小林幸子さんで、マネージャーの伊藤さんとも一緒に電車の旅もしました。

 「芸は観て盗んで覚えろ。」というのが師匠の教えでした。直接ギターを教えることはありません。ギターを弾きたくても「ギターを手にするのは十年早い!」と言って怒られるものですから、夜、師匠が二階で寝静まったあと、押し入れに入りギターのネックにタオルを巻いて音が出ないようにし、頭に描いていたとおりに弾けるように、毎晩必死に練習したものです。

 当時のレコーディングは歌とオーケストラの生演奏の同時録音で行われていました。そばにいてもその緊張感が伝わってきて、ドキドキして見ていました。
 コロムビアレコードのスタジオで師匠のレコーディングが行われたあとに古賀政男先生に私の歌とギターを聴いていただいたことがあり、「こうするともっと良くなるよ。もっと工夫をしてみなさい。」と言っていただいたことが励みになり、強く印象に残っています。

 私の将来の方向について、師匠との意見の違いからやむなく独立することになりました。
 師匠は「うまくいかなかったらいつでも戻ってこい。」と言ってくれましたが、自分の歌とギターをお客様に聴いてもらいたい、楽しんでもらいたい。という強い思いで我が道を貫いてきました。

 師匠・アントニオ古賀の元で多くのことを学び気付かされ、生き抜く力を得た、4年間の修行時代でした。
 厳しくても辛くても「自分にとってこれは必要なこと」と自分自身に言い聞かせて受け入れることが強く生き抜く力になりました。


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